新聞

2017年6月 8日 (木)

リレーおぴにおん「ジャズと私」

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朝日新聞に「リレーオピニオン『ジャズと私』」という記事が連載されている。六月七日付けの記事には音楽学者の岡田暁生さんが登場した。

岡田さんの専門はクラシック音楽で、放送大学の客員教員として「西洋音楽史」を講じたとき、僕は初めてその名前を知った。この科目はもちろんクラシック音楽の歴史を扱ったものだが、最終章ではジャズについても触れていた。

新聞記事では、フィリップ・ストレンジというジャズ・ピアニストに師事した岡田さんがジャズの魅力について語っている。

また、ジャズを知ったことでクラシック音楽を再認識し、権威化されたクラシック音楽が置き去りにしているものまで見えるようになったと述べている。

大学の先生のせいなのか、言い回しが多少硬い気もするが、「どんな人生も否定せず、受け入れる精神から最高のセッションが生まれる」などという言葉には納得できるものがある。

2012年12月13日 (木)

新聞の書評欄から

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新聞の日曜版に載る書評欄が好きだ。朝日新聞のこの欄には「思い出す本 忘れない本」というコーナーがあって、各界の色々な人たちが思い出の本一冊を紹介していて、これがとても興味深い。

12 月 9 日付けには、小室等さんが武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』を取り上げていた。以前からこの本の存在だけは知っていたのだけれど、難しい内容に思えて、未だにちゃんと読んだことがないのだった。

一度聞いたら忘れることのできない本の題名は、ここでその由来が次のように明かされている。

私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。

この言葉は、僕にはヴェーベルンの音楽を思い起こさせる。そして、この本がこんなふうに語られているのだったら、もう一度手に取って、辛抱強く読んでみたいと思った。

2011年9月 3日 (土)

今日の新聞から

今日付けの朝日新聞の文化欄「時の回廊」に丸谷才一の『たった一人の反乱』が取り上げられていた。

素朴よりは趣向、涙と感傷よりは笑いと知性、孤独よりは社交、雄大荘重よりは優雅洒脱……。詩人の大岡信が指摘した丸谷才一の指向性が長編小説として結実したのが『たった一人の反乱』とのこと。

僕は丸谷才一の随筆が大好きなのだが、長編小説についてはつい最近も『輝く日の宮』を途中で投げ出してしまい、いまだに一冊も最後まで読んだことがないのだ。だから、彼の小説のことはわからないのだが、大岡信の指摘にはなんとなくうなずけるような気がする。

このごろ丸谷才一は随筆や対談記事などで、日本の文学風土に対する考えを率直に述べている。

この記事中でも「日本の純文学の世界の書き方のおきてとしてある、大まじめで、深刻ぶった、俗でないもの、そうでなければ純文学ではないという考えが嫌だった」とか「長編小説というものは、成熟した知的な中流階級があって成立する」などと述べている。

彼が村上春樹を買っているのもわかる気がする。

東北地方の頁「みちのく週末」の「とっておきコレクション」には、福島市の篠原さんという方がクラシック・カメラ 947 台を集めたという記事が載っていた。

カメラ好きというのは、赤瀬川原平も言っているように、これはもう病気であって、ほかの人が何と言おうと聞く耳を持っていない。

それに、これらのカメラは単に写真を撮影するためにあるのではない。かといって、ガラクタであってはいけない。撮そうと思えば撮すことのできるものでなければならないのだ。

篠原さんの「カメラは近代小型精密機械の遺産」という言葉どおり、クラシック・カメラを蒐集するという行為は、血の通った、人間味すら感じられる精密機械と対話するためのものなのだろう。

2011年2月16日 (水)

書くこと、静かなる梱包

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読売新聞(こちらでは 2 月 15 日付け)の文化欄に、このたび芥川賞を受賞した朝吹真理子さんが文章を寄せていました。題名は『書くこと、静かなる梱包』です。

朝吹さんは受賞の数日後から一週間ほどパリに滞在し、予定が空いた一日、敬愛するアーティストのアトリエをたずね、創作に関することを話し合ったとのことです。このときの彼の言葉が紹介されています。

アーティストは作品に対して署名責任を持つべきだが、説明責任はいらない。

ここから創作について思索を広げていくのですが、次の彼女の言葉は創作に関わる者の想いを端的に示しています。

ヴィジョンはこの世の秩序から解放されていて、ひとの思考を自由にさせる。私はそれを、「言葉」という、文法に則りリニアにしかすすめない秩序の世界に梱包してみたい、らしい。

これはおそらく、僕らが美術、音楽などに接するときに思うものと同じものだ。

2010年5月 9日 (日)

アルド・チッコリーニの記事

Ciccolini

5 月 3 日付けの読売新聞にアルド・チッコリーニのインタビュー記事が載っていました。この三月に来日したときに取材したものです。

チッコリーニというと、僕はエリック・サティを全曲録音したということでその名前を知っているだけで、彼の演奏を聴いたことはないのですが、この記事がなかなか興味深いものなので、紹介してみようと思います。

まず、冒頭、

ピアニストは「オリジナル」な演奏をめざしてはいけない。音楽家の「オリジナル」なんて退屈そのもの。それより楽譜を忠実にひもとき、作品の内面に没入できるまで長い時間練習すべきです。

さらに、

音楽の核心に近づきたければ経験を積むこと。指の鍛錬は重要ですが、単なるエクササイズは芸術にそぐわない。精神を研ぎ澄まし、孤独に耐えるのです。

という修行僧のような献身ぶりは、早熟の才能を売り出すことに熱心な現代の人々への異議申し立てに思えるとの記事。チッコリーニ自身のキャリアが遅かったことについては、

それが良かったのかもしれません。「早熟」は本来、天才だけに許された特権ですから。

チッコリーニの伝記の中で、彼自身は今の時代をこう述べていました。

すべてがとてつもなく速すぎます。どうしてそんなに走るのでしょう? きっとこれが死に挑む現代のやり方なのでしょうか?

そして、インタビューでは、

私たちはゆっくり進むべきです。そうでないと死が早く訪れてしまう。

教育者としては、

私は自分を「先生」だと思ったことは一度もない。音楽を教えるのに不可欠な資質が二つあります。一つは謙虚さ、もうひとつは忍耐力。

「精神を研ぎ澄まし、孤独に耐える」という彼の言葉はとても重い。音楽は聴き手と共にある。とすれば、静かに耳をすまして音楽をもっと深く聴いてみたい、と思うのでした。

2010年4月24日 (土)

『練習』のこと

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僕は秋田に生まれ育ち、ずっと秋田で暮らしているので、こちらではごくふつうに思っていたことが、外から指摘されて初めて秋田独特のことであったのだと気づくことがあります。お酒の席での練習もその一つで、これはほかの地域では見られないようですね。前に、息子のお嫁さんから「秋田には練習ってのがあるの?」なんてきかれたことがあったなあ。テレビで流れていたらしいのです。

『練習』は、お酒の席で集まった人たちがとりあえずビールで始めてしまうことをさしていて、その後みんなが揃ってから本格的に乾杯となるのです。つまり、本番前の練習ということなのです。

ま、いかにもせっかちで行儀が悪いし、それに約束の時間を守れないこちらの県民性を象徴しているわけですが、1 月 7 日付け秋田魁新報『秋田流スタイル お酒編「練習」』で取り上げられた記事はわりと好意的なものになっています。

練習について、

飲むために来たんだから、早く飲みたい気持ちが先に立つ。熱いものも冷めてしまうし。せっかちなんだ。それが練習ということ。

その理由について、

秋田には約束の時間より遅れる『秋田時間』がある。早く来た人は待たされるのが嫌で飲むけれど、遅れる側は『あれがだ(あいつら)飲んでるんだから早く行かなくていい』となる。

と、相手に余計な気遣いをさせない緩衝材のようなもので、「秋田時間」と表裏一体の関係にあるとのこと。

秋田の人は義理人情に厚いから。断る理由がなくてつい飲んでしまう。その付き合いのよさを別の面で生かせればなあ。

と、結んでいます。

また、記事の脇に置かれたコラムには、こんなことも書かれています。

県内の酒造りには北前船の影響がみられる。鉱山や石油の地下資源が豊富で、あちこちからいろんな人が集まり、酒造りの技能者が定着した。冬が長いおかげで、酒とともに保存食など発酵文化も発展した。

僕自身も秋田の食べ物は美味しいと感じるし、それと切り離せないのがお酒なんだと思います。それに、気の合う仲間と飲むお酒は楽しいですね。ま、一人で飲むのも好きですけどね。

2010年4月17日 (土)

キアラ・バンキーニの記事

Chiarabanchini

NHK-FM『バロックの森』、今週はフランス・バロックの音楽家の特集でした。この番組の中で、きのうのルクレール:二つのヴァイオリンのためのソナタときょうのラモー:コンセールによるクラヴサン曲集でキアラ・バンキーニの演奏を聴くことができました。

ちょうど一週間前の朝日新聞(こちらでは 4 月 10 日付け)にバンキーニの記事が載っていて、彼女の名前を覚えていたのです。バンキーニのことは初めて知ったのですが、この記事の内容がとても興味深いものなので、ここで紹介してみようと思います。

キアラ・バンキーニは先月に初来日し、東京と大阪で公演を行ったそうです。記事はそのときのインタビューをもとにしたものです。まず、古楽の道を選んだことについては、

時代のスピードに流されないよう、自らの手でレパートリーを切り開いていける古楽の道を選んだ。

現代楽器を手にしていたころは、お決まりの名曲ばかりにうんざりし、マイナス点を探すコンクールも肌に合わなかったといいます。そして、クイケン率いるラ・プティット・バンドに加入し、理論書や文献を読みあさり、人間の声のように楽器で歌う方法を徹底的に探った。このことについて、

人生それぞれの段階にふさわしい仕事を選ぶことで、常に自分の足で立ちつつ、新鮮な発見を続けてこられた。

ジャズのセッションさながらの即興の大切さについては、

自分の裁量で自由に弾く。これが古楽の特徴であり、音楽の本来あるべき姿だと思うから。

CD を買わなくても、ネットを通して世界中の名演を聴くことができる現状については、独り、じっくり原典に向き合ってきた時間と経験に育てられてきた、との自負から、

芸術に携わる人間が、安易さに満足するのは間違っている。自分が自分であるために、情報に流されない努力をする必要がある時代。だからこそ、私は意識的に不器用に生きているんです。

自分の音楽をこんなふうに語る演奏家を聴かずにいられようか、という気持ちになりますね。

『バロックの森』はいつも出勤前の慌ただしい時間に流れているので、CD を買い求めてじっくりと聴いてみたいと思います。

2009年5月23日 (土)

J・G・バラードの追悼文

5 月 21 日(木)付けの朝日新聞に映画評論家・翻訳家の柳下毅一郎氏の『汚染される人間の生を予言 英 SF 作家 J・G・バラードを悼む』と題する追悼文が載っていました。バラードは去る 4 月 19 日に 78 歳で亡くなったとのことです。気が付かなかったなあ。

この中で柳下氏はバラード後期の『残虐行為展覧会』と『クラッシュ』を取り上げ、「バラードはメディアとテクノロジーに汚染されたあらたな人間の生を描きだした」と評し、「それこそが二十世紀最大の作家が残したものなのだ」と結んでいます。

僕はバラードが 1950 年代末から 60 年代始めにかけて残したイメージあふれる数々の長短篇を愛読しているのですが、このあとに作風を一変させた一連の作品にはもう付いて行けなくなり、『残虐行為展覧会』なども途中で投げ出してしまったのです。

しかし、SF は外宇宙ではなく人間精神である内宇宙こそを探求すべきであるとする「新しい波」運動の旗手であったころの作品群のみをとってみても、やはりバラードは偉大だった。

だから、柳下氏の「カウンター・カルチャー側からの主流文学への反抗者として、バラードは鋭い刃をふるった。バラードはまちがいなくそのすべてだった」という評も、決して後期の作品のみを対象としたものではないと思うのです。

それにしても、愛読する作家が亡くなるのは悲しいものですね。

2009年3月10日 (火)

村上春樹のエルサレム賞授賞式記念講演

3 月 3 日と 5 日付け毎日新聞に、二回にわたってエルサレム賞授賞式における村上春樹の記念講演の全文が掲載されました。パレスチナ自治区ガザ地区で起きた戦闘の当事国であるイスラエルの文学賞の受賞を拒否するように求める声の中で、「語らないことよりは語ること」を選択し、出席を決めた村上春樹の講演です。

彼はこの中で、「高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう」と述べています。この壁と卵という隠喩について考えながら読み進むうちに、「私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです」という言葉にぶつかります。ここで、先の隠喩の意味がしだいに明らかになってきます。

このとき僕は、戦闘について具体的に述べることをせずに、抽象的ではあるけれどより普遍的な表現を用いて語ったことこそが、やはり第一線の小説家の仕事だなあと思ったのでした。

2009年1月 3日 (土)

秋田の県民性

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1 月 1 日付けの毎日新聞秋田版に「あきた県民性あれこれ」という特集記事が載っていました。

この記事に書かれているように、秋田の県民性は「しょしがり(恥ずかしがり)」で「ひやみこき(怠け者)」だが「えふりこき(見えっ張り)」。この三つは地元民にとってだれでも心当たりがあるものです。

ところが、秋田大学の日高水穂さんは方言学の立場からこう述べています。

「えふりこき」「ひやみこき」といった方言は、むしろこうした性格をよしとしない地域社会が秋田にあることを示している。メディアが秋田の問題を取 り上げる際、わかりやすい理由を求めたり、特殊性を強調するあまりこのように報じ、県民の側もそう認識し、納得してしまったところがある。

日高さんは何年か前にも同様のことをほかの新聞で述べていたのですが、地元に生まれ育った僕らには、新年早々、ま、そんなに悪くはないかと思わせてくれる言葉でした。

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