クラシック音楽

2018年7月 3日 (火)

ルクレールのソナタ集

Leclairviolinsonatas

ジャン=マリー・ルクレールのソナタは、寺神戸亮がバロック・ヴァイオリンで演奏した曲集で聴いていた。彼の自然で伸びやかな演奏がとても好きだった。

このように、このソナタ集は本来ヴァイオリンのために書かれたものなのだが、中には「トラヴェルソでも演奏可能」とことわり書きがついた曲があるのだという。これらトラヴェルソ版ばかりを集めたソナタ集も聴いてみた。演奏はお馴染みのバルトルド・クイケン、ロベール・コーネン、ヴィーラント・クイケンの三人。

こちらがまた大変に美しい。どれほど美しい曲集であり、演奏なのか、音楽学者那須田務氏の文章を引用する。

これらのソナタは、当時フランスで流行していたイタリア音楽のソナタという入れ物のなかに、フランス風の優雅な舞曲形式や精密かつ明晰なテクスチャー、優美で儚く淡い色彩に彩られた旋律などを盛り込んで、まさに第一級の芸術品というに相応しい作品となっている。(中略)このアルバムに収められたソナタはバルトルドの滑らかな音色と空を浮遊するような演奏スタイルにぴったりだし、ヴィーラントの雅びやかで幽玄なガンバと、控え目ながらきっちりとツボを押さえたコーネンのクラヴサンによる通奏低音によって、他に類を見ないほどの魅力的な演奏になっている。

これら画期的な演奏を披露した音楽家たちの、過去の発言が興味深い。

バロック・ヴァイオリンというのは、音量的にも、発音からいっても、バロックの時代の音楽にちょうど合ったサイズなんですね。だから演奏するときに、加減をする必要がない。楽器を鳴らし切って、楽器の可能性の限界まで表現し尽すことができるわけです。(寺神戸亮)

演奏しようとする音楽以上によくあろうと努め過ぎないことです。(バルトルド・クイケン)


Leclairflutesonatas

Jean-Marie Leclair : Sonates a Violon seul (Denon)
寺神戸亮, Baroque violin
Christophe Rousset, Harpsichord
上村かおり, Viola da gamba
鈴木秀美, Baroque violoncello

Jean-Marie Leclair : The Complete Flute Sonatas (Accent)
Barthold Kuijken, transverse flute
Wieland Kuijken, viola da gamba
Robert Kohnen, harpsichord

2018年5月31日 (木)

ブルーノ・ワルターとコロンビア響

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指揮者のブルーノ・ワルターが晩年にコロンビア交響楽団を指揮し、CBS レコードに録音した音源は、その都度意匠を変えながら幾度となく市場に出た。亡くなった音楽評論家の宇野功芳氏は、これらワルターのレコードについて生前こんなことを語っていた。

ワルターがコロンビア交響楽団を指揮したステレオ・レコードで、ぼくの愛惜おくあたわざるものがちょうど十枚ある。ハイドンの「軍隊」、モーツァルトの「プラハ」、ベートーヴェンの「二番」「六番」、シューベルトの「五番」「九番」、ブラームスの「四番」、ブルックナーの「四番」、ドヴォルザークの「八番」、マーラーの「一番」である。もちろんほかにもすぐれた名盤は多いが、ワルターの個性と曲の内容とがぴったり一致し、抜き差しならぬ芸術境を生み出している点において、これらに勝るものはあるまい。とくにブラームスとマーラーは絶品と称して過言ではないと思う。

ワルターが指揮した演奏を聴いていると、僕はなぜか庄野潤三の作品を思い浮かべる。彼の情感溢れる演奏には、「自分の掌(たなごころ)でなでさすった人生を書く」などと形容された庄野潤三に通じる風合いが感じられる。宇野氏が語っていた「ワルターの個性と曲の内容がぴったり一致し」というのも、この感覚のように思われる。

Ludwig van Beethoven : Symphony No.2 in D major, Symphony No.1 in C major
Bruno Walter, Conductor

Columbia Symphony Orchestra
January 6 & 8, 1958 (No.1) and January 5 & 9, 1959 (No.2), American Legion Hall, Hollywood, California

2018年1月12日 (金)

リヒテルが弾くシューベルト:ピアノ・ソナタ第 13 番

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シューベルトのピアノ・ソナタ第 13 番イ長調は「可愛らしいイ長調」と呼ばれ、広く愛好されているようだ。これは、シューベルト最後の年に作曲されたピアノ・ソナタ第 20 番イ長調が、規模の大きさと技巧的華やかさから「大きなソナタ」と呼ばれていて、これと対比しての愛称ということだろう。

僕はこれまでこの第 13 番のソナタをアリシア・デ・ラローチャの録音で聴いてきた。第一楽章の愛らしい主題はまさに「可愛らしいイ長調」という呼び名にふさわしい。

ところが、最近、スヴァトスラフ・リヒテルの録音を聴いてみたら、この曲は単に「可愛らしい」と表現される以上に、ずっと深い内容をもったピアノ・ソナタであるように感じられた。第二楽章など、ラローチャのものとは別の曲を聴いているかのようだ。

こうなると、第 20 番のソナタと対にした「可愛らしいイ長調」という呼び名はもはや必要がないようだ。

これまであまり聴いたことがなかったリヒテルの演奏だが、平均律クラヴィーア曲集、『鱒』、ブラームス:ピアノ四重奏曲、ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲など、他の演奏家には求め得ない深みを感じる。

Schubert :
Fantasia in C Major, D.760 ``Wanderer'',
Piano Sonata No.13 in A Major, D.664 (EMI)

Sviatoslav Richter (Piano)
Feb., Apr. 1963, Paris

2017年8月28日 (月)

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 作品 81

Dvorakpianoquintet

ドヴォルザークのピアノ五重奏曲 作品 81 はメナヘム・プレスラーとエマーソン弦楽四重奏団の共演盤で聴いたことがあったのだが、そのときはこの曲の魅力は感じられずにいた。いつ終わるとも知れない果てしない緩徐楽章に閉口したのを思い出す。先に同じ演奏家たちのシューマン:ピアノ五重奏曲/四重奏曲を愛聴していたから、不思議な気持ちだった。

それからしばらくしてスヴャトスラフ・リヒテルとボロディン弦楽四重奏団にこの曲の録音があることを知り、もう一度聴いてみることにした。久しぶりのドヴォルザークはとても瑞々しく、あの緩徐楽章も曲全体の一番の聴かせどころになっていた。リヒテルたちの演奏に見られるゆったりしたテンポと旋律の歌わせ方がそう感じさせているだろう。

レコードの解説で村田武雄氏はこう述べている。

ドヴォルザークの音楽のなかに深くしみこんでいる、スラヴ的な民族色は、かれの作品を演奏する場合に、第一に考慮しなければならない特徴である。(中略)スヴャトスラフ・リヒテルといい、またボロディン弦楽四重奏団といい、いずれもソビエトの演奏家であるから、スラヴの血をもった、ドヴォルザークの音感を肌で実感しうる人々である。それが瑣末の問題よりはるかに曲の真実を再現するのに、代えがたい迫真力を与えている。

民族色が濃い音楽においてはたしかにそのとおりだろうなと思った。

Dvorak : Piano Quintet in A Major Op.81 (Victor)

Sviatoslav Richter, piano
Borodin Quartet
Moscow, 1983

2017年5月14日 (日)

ヤナーチェクのピアノ曲

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1970 年代初頭、日本コロムビアから出ていた音源が一斉に新興レーベルの CBS ソニー・レコードに移ったとき、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団の《新世界から》にボーナス・レコードが一枚追加され、これにヤナーチェクの《シンフォニエッタ》第一楽章が収められていた。これがヤナーチェクの音楽を初めて聴いたときで、金管の摩訶不思議な響きがとても新鮮だった。

しかし、その後、《タラス・ブーリバ》、《利口な女狐の物語》、弦楽四重奏曲などを聴いても、どれもつかみどころのない印象ばかりで、そのうちにこれらのレコードはすべて処分してしまった。

そうしたところ、図書館所蔵の音源を検索していたら、アンドラーシュ・シフが演奏するピアノ曲集があるのを知った。さっそく借りてきて聴いてみたのがこの CD。

《霧の中で》《草かげの小径にて》《思い出》など、題材が身近で、どれも短い曲ばかり。ロバート・コーワンという人が、「クリエイティブな才能を守る固い繭の中で無垢な子供のままでいることができたヤナーチェクの純粋性や感情豊かな率直さが伝わってくる」(小林誠一訳)と解説している。

ときどき思い出して聴いてみたくなる曲集。

Leos Janacek : A recollection (ECM)

In the mist
Sonate
On an overgrown path I
On an overgrown path II
On an overgrown path (Paralipomena)
A recollection

Andras Schiff (Piano)
January 2000

2017年4月29日 (土)

ミュシャの絵のジャケット

いま国立新美術館でミュシャ展が開催されているようだ。会期は六月五日までとなっているが、いろいろと用事があるので、行けそうにない。

ミュシャというと、彼の絵をジャケットに使ったレコードが手元にある。これは当時の東芝 EMI が「フランス音楽のエスプリ・シリーズ」と題して発売したもの。このシリーズが最近になって CD でも発売された。

http://wmg.jp/special/lesprit/

EMI はワーナー・ミュージックに売却されたので、レーベルもロゴも変更されている。

この新シリーズにはパレナン四重奏団の「ドビュッシー、ラヴェル:弦楽四重奏曲」や「ショーソン:ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のためのコンセール他」も入っていて、僕にもそのレコードがあるのだが、ジャケットは別のものになっている。

つまり、このシリーズは、当時既発売のフランス音楽の音源にミュシャの絵をあしらい、意匠を新たに再発売したものということらしい。

ジャケットの大きな LP でもう何枚か欲しくなった。

Dscn0922
Maurice Ravel : Sonate pour Violon et Piano, Sonate pour Violon et Violoncelle, Trio en la mineur pour Piano, Violon et Violoncelle

Gerard Jarry, violon
Georges Pludermacher, piano
Michel Tournus, violoncelle
1970-73

Dscn0921
Cesar Franck : Quatuor a Cordes

Quatuor Parrenin
1972

2017年4月 8日 (土)

エルガー:海の絵

Seapictures

手元に音楽之友社の『クラシック・ディスク・コレクション 301』という冊子がある。1996 年発行のもので、もう内容が古いのだが、いまだに時々読み返している。というのは、一般的にはそれほど知られていない曲が多く収録されているから。

この中にエルガーの《海の絵 作品 37》というのがある。この曲を藤野竣介氏が次のように紹介していて、聴いてみたくなった。

《海の絵》は五曲からなる、コントラルトあるいはメッゾ・ソプラノと管弦楽の連作歌曲。(中略)みなチャーミングな佳曲揃いだ。どの曲もエルガーの筆は伸びやか。世紀末の煩悶とは無縁の地平で、海をめぐるロマンチックな夢想を楽しんでいる。

買い求めたのは藤野氏が紹介していたジャネット・ベイカーとジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団のもの。海を題材にした多くの曲のように、深々として、伸びやかで、豊かな気持ちになる。

併録の曲は同じエルガーのチェロ協奏曲。有名なジャクリーヌ・デュ・プレのもの。この組み合わせが初出当時のものらしい。

《海の絵》は録音が少なく、この冊子の刊行当時、国内盤ではほかにデラ・ジョーンズとチャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のものがあるのみだったという。

Elgar : Cello Concerto, Sea Pictures (EMI)

Jacqueline Du Pre (Cello)
Janet Baker (Contralto)
The London Symphony Orchestra
conducted by Sir John Barbirolli
1965

2017年2月 3日 (金)

シューベルト:ピアノ三重奏曲第一番他

Pianotrioop99

シューベルトのピアノ三重奏曲第一番はかつてルービンシュタイン、シェリング、フルニエの盤で聴いていたが、程なく処分してしまった。彼らの演奏が気に入らなかったわけではない。冒頭の運動会の行進を思わせる主題が耳につき、聴き通すことができなかったのだ。

それが歳をとるにしたがって、あくの強い主題も次第に耳に触らなくなり、全曲を聴き通せるようになった。年齢とともに感受性が衰えるのは仕方ないにしても、聴ける音楽が増えようとは思いもしなかった。

というわけで、長い中断を経て再び買い求めたのはスーク・トリオの PCM 録音盤。もっと新しい録音もあるのだが、彼らの演奏は先にベートーヴェンの大公を聴いて好ましく感じていたから。

打てば響くという形容そのままの彼らの鋭敏で、しかも力強さを備えた演奏は、室内楽を聴く楽しみと醍醐味を味わわせてくれる。

併録のノットゥールノの息を潜めた開始は、ハ長調の弦楽五重奏曲の緩徐楽章を思わせる。この繊細な響きも十分に捉えられている。

Schubert : Trio in B-flat, Nottruno in E-flat (DENON)
Trio in B-flat Major for Piano, Violin and Cello, op.99
Nottruno in E-flat Major for Piano, Violin and Cello, op.148
Suk Trio
Jan Panenka, piano
Josef Suk, violin
Josef Chuchro, chello
June 19 and 20, 1975
Lucany, Romancatholic Church St. Mary, CSSR

2016年8月 7日 (日)

暑い夏に中南米のギター曲

Artsauvage

真夏に聴ける音楽はそんなに多くない。

これまでは、イツァーク・パールマンがアンドレ・プレヴィンと組んだスコット・ジョプリンの曲集や、チック・コリアとゲイリー・バートンのチューリッヒでのライヴ・アルバムが夏に聴く音楽の定番だった。

今年は、斎藤明子の『アール・ソヴァージュ』を聴いている。これは二十世紀初頭に活躍した中南米の三人の作曲家、ポンセ、バリオス、ヴィラ=ロボスの作品集。

異国的な情緒に加えて、響きが洒落ていて、涼やかで、とてもいい。

斎藤明子:Art Sauvage (SONY)

Manuel Maria Ponce (1882-1948)
 Estrellita
 3 Cantiones Populares Mejicanas
 Marchita El Alma
 Scherzino Mexicano
Agustin Barrios (1885-1944)
 La Catedral
 Vals Op.8-3
 Vals Op.8-4
Heitor Villa-Lobos (1887-1959)
 Choros No.1
 Suite Populaire Bresilienne
 Bachianas Brasileiras No.5 - Aria

斎藤明子, Guitar
March, 1993

2016年5月 8日 (日)

ディーリアス:管弦楽曲

Deliusorchestralworks

音楽評論家の出谷啓氏は、少年時代にディーリアスの音楽と出会ったときのことを回想し、次のように述べている。

何も主張しない音楽。路傍の花のような音楽。何も主張しない代わりに、人が気付くのをじっと待っている。聴き手の優しさとか、感受性を試すような、恐ろしくも美しい音楽があるのを少年は知ったのである。少年はディーリアスの作品を聴いていると、どこまでも優しくなれるような気がした。

ディーリアスの音楽を聴くと、「路傍の花のような音楽」と表現した出谷氏の気持ちが身近に感じられる。音楽が向こうからやってきて、聴き手の気持ちをいやがおうにも高揚させるなどとは正反対に位置する音楽。聴き手に静かに対話を求めるような音楽と言っていいのかもしれない。

ディーリアスは、僕には、「素湯のような」と形容された岩本素白の随筆を思わせる。

Delius : Orchestral Works (EMI)

A Song of Summer
"Irmelin" Prelude
The Walk to the Paradise Garden
In a Summer Garden
La Calinda (arr. Fenby)
On Hearing the First Cuckoo in Spring
Brigg Fair - An English Rhapsody

The London Symphony Orchestra
The Halle Orchestra
Cond. by Sir John Barbirolli
1968, 1969, 1970

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