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2016年9月

2016年9月 7日 (水)

青山七恵『かけら』とアラン・シリトー『漁船の絵』

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青山七恵の短篇集『かけら』を読んだ。

アラン・シリトーの『漁船の絵』を再読していたとき、数年前の新聞記事で、川端康成文学賞に『かけら』が決まったとき、青山さんが最も好きな短篇として『漁船の絵』をあげていたことを思い出したからなのだ。彼女はこの短篇を「ある夫婦のすれ違いが、さらっと書かれているのにもかかわらず、訴えてくるものがいっぱいある」と述べていた。

いちど別れ、何年も経ってから再び夫のもとを訪れる妻とのやりとりに、もはや修復できないところまできた二人の関係を知る。こんな会話。

「あなたって、興奮すること、決してなかったわね、ハリー」
「うん」
とおれは正直に答えた。
「まあ、なかったな」
「興奮すればよかったのに」
と、あいつは変にぼんやりした調子で、
「そしたら、あたしたち、あんなことにならなくて済んだのに」
「もう遅すぎるよ」
と、激しい口調でいってから、
「喧嘩やごたごたは嫌いだったからな。平和がおれの主義さ」
(丸谷才一訳)

『かけら』は、父親と二人でさくらんぼ狩りツアーに出かける女子大生の話。家族全員で出かける予定が、なぜか二人で行くことになった居心地の悪さが描かれている。このへんのやりとりも面白い。

「お父さんて、ほんとに話しがいがないね」
は、は、と乾いた声で父は笑った。
「なんか、ただ水に石を落っことしてるみたいなんだよね。お父さんと話してると」
「そうか」

『かけら』と『漁船の絵』はまったく別の物語だが、どちらも淡々とした調子で綴られ、べたべたしたところがない。それでいて、読み終わってから、解けなかった試験問題のようなものが心に残る。

青山七恵『かけら』(新潮社、2009)
かけら
欅の部屋
山猫

Alan Sillitoe : The Loneliness of the Long-Distance Runner (1959)
The Loneliness of the Long-Distance Runner
Uncle Ernest
Mr. Raynor the School-Teacher
The Fishing-Boat Picture
Noah's Ark
On Saturday Afternoon
The Match
The Disgrace of Jim Scarfedale
The Decline and Fall of Frankie Buller

Thelonelinessofthelongdistancerunne

2016年9月 4日 (日)

仮綴じ本からフランス文学

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集英社の読書情報誌『青春と読書』の九月号をパラパラと読んでいたら、翻訳家の鴻巣友季子と作家の堀江敏幸の対談が載っていた。集英社文庫のポケット・マスターピースがまもなく完結するので、その編集に関わった二人がアンソロジーの意味を語るというもの。

対談の冒頭、鴻巣氏がなぜフランス文学に接近したのかと尋ねるのだが、その理由を述べる堀江氏の答えがなかなか面白い。

堀江氏ははじめ国文学をやりたいと思っていたところ、たまたま第二外国語でとったフランス語のほうに興味が移ったのだそうだ。また、フランス文学が好きだったではなく、フランスの文芸書の形、つまり、仮綴じ本の形がとても好きで、こういう本の形を許容してくれるなら悪くないなと思ったのがフランス文学との出会いだったという。

もちろん、これだけが理由のすべてではないだろうが、本の佇まいに惹かれてその世界に入っていくというのが、いかにも堀江氏らしいと思った。『もののはずみ』『目ざめて腕時計をみると』などの著作はこのような感覚から生み出されたものなのだろう。

『青春と読書 九月号』(集英社)

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