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2011年9月 3日 (土)

今日の新聞から

今日付けの朝日新聞の文化欄「時の回廊」に丸谷才一の『たった一人の反乱』が取り上げられていた。

素朴よりは趣向、涙と感傷よりは笑いと知性、孤独よりは社交、雄大荘重よりは優雅洒脱……。詩人の大岡信が指摘した丸谷才一の指向性が長編小説として結実したのが『たった一人の反乱』とのこと。

僕は丸谷才一の随筆が大好きなのだが、長編小説についてはつい最近も『輝く日の宮』を途中で投げ出してしまい、いまだに一冊も最後まで読んだことがないのだ。だから、彼の小説のことはわからないのだが、大岡信の指摘にはなんとなくうなずけるような気がする。

このごろ丸谷才一は随筆や対談記事などで、日本の文学風土に対する考えを率直に述べている。

この記事中でも「日本の純文学の世界の書き方のおきてとしてある、大まじめで、深刻ぶった、俗でないもの、そうでなければ純文学ではないという考えが嫌だった」とか「長編小説というものは、成熟した知的な中流階級があって成立する」などと述べている。

彼が村上春樹を買っているのもわかる気がする。

東北地方の頁「みちのく週末」の「とっておきコレクション」には、福島市の篠原さんという方がクラシック・カメラ 947 台を集めたという記事が載っていた。

カメラ好きというのは、赤瀬川原平も言っているように、これはもう病気であって、ほかの人が何と言おうと聞く耳を持っていない。

それに、これらのカメラは単に写真を撮影するためにあるのではない。かといって、ガラクタであってはいけない。撮そうと思えば撮すことのできるものでなければならないのだ。

篠原さんの「カメラは近代小型精密機械の遺産」という言葉どおり、クラシック・カメラを蒐集するという行為は、血の通った、人間味すら感じられる精密機械と対話するためのものなのだろう。

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