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2008年10月の9件の記事

『考える人』秋号

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『考える人』秋号の特集が「堀江敏幸と歩くパリとその周辺」ということなので、さっそく買ってきて読んでいます。

堀江敏幸が、パリ郊外に住んで執筆を続けているジャン=ルー・トラッサールとミシェル・トゥルニエという二人の作家を訪ねる紀行文、ないしはエッセイのようなものになっています。どちらも知らない作家だし、トラッサールにいたってはまだ一冊も紹介されていないということなので、どんな作風なのかは知るよしもないのですが、記事の中の写真や堀江敏幸の文章からは二人を敬愛している様子がじんわりと伝わってきます。

二人とも高齢な作家で、トラッサールは万年筆で執筆し、タイプライターで浄書、トゥルニエもやはり万年筆で執筆し、パソコンで浄書するとのこと。どちらも浄書したものを出版社に渡すのですが、いいですね、こういうのは。

そのほか、堀江敏幸が革張り工房を訪ねた記事やパリの書店めぐりも載っていて、楽しいです。書店めぐりの中で、フランス綴じのアンカット版について「アンカット版はページを切らなければ本の役割を果たさないけれど、なんでもかんでも切ればよいというわけでもない。どうしても、という段になったときだけ覚悟を決めて読む本があってもいいのだ」と記していて、彼の本好きぶりが披露されています。

それから、この特集とは別に、第七回小林秀雄賞の選評が載っていて、選考委員の一人である堀江敏幸は、その前半にこんなことを書いているのにハッとしました。

書き手の側からすれば、ながい時間をかけて出来上がった文体が、やがてその文体の範囲内でしか表現できない軛となるという展開は自明であって、物書きはみな、そうとわかっていながら、壊すために一旦、その軛を作る。(中略)だから、自覚的な変化を自らに課す場合、外からわからない程度の微量の薬物を混入させて、徐々に内側から変容させていく方策を選ぶ。

なるほど、作家の変化とはこういうものだったのか。

僕は、村上春樹も川上弘美も最初期の作品群が好きだったのですが、作風が変化してからはほとんど読まなくなっています。堀江敏幸にしても『河岸忘日抄』では主人公を「彼」という三人称にするなど、それまでの作品からはちょっとした変化がみられましたが、この先にまた大きな変化が訪れるのかもしれません。

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『作曲家別名曲解説ライブラリー バッハ』

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去年、この街に書店のジュンク堂が出店しました。発売から日が経って、普通の書店には置いていない単行本や雑誌のバック・ナンバーがそろっていて、また寄ってみたいと思っていたのですが、その後、体調をこわして、ずっと足が遠のいていたのでした。

この間、一年ぶりに寄ってみて、音楽関係の棚をながめていたら、興味深い本がいっぱいならんでいました。その中に音楽之友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー」が、バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトとあって、しばらく迷ったあとに選んだのがこのバッハです。

帰ってからこの本をパラパラ読んでいたところ、「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ」のページで弦楽器の種類について詳しく書かれていました。この内容はなかなか複雑なのですが、要約すると次のようになるようです。

ヴィオラ・ダ・ガンバは脚の弓弦楽器という意味で、何もヴィオラの一種というのではないこと、そして、これに対して、腕の弓弦楽器はヴィオラ・ダ・ブラッチョと呼ばれていた。

まず、弓弦楽器を楽器の支え方によって二つのグループに分け、今日ではヴィオール属と呼ばれることの多いグループをヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴァイオリン属のことをヴィオラ・ダ・ブラッチョと呼んだ。したがって、ヴィオラ・ダ・ガンバはヴィオール属、ヴィオラ・ダ・ブラッチョはヴァイオリン属の同義語である。

しかし、チェロはヴァイオリンやヴィオラと同じくヴァイオリン属=ブラッチョ属なのであるから、楽器の支え方のみではガンバ属=ヴィオール属、ヴァイオリン属=ブラッチョ属と厳密に区別はできない。

それは、五度間隔に調弦された四弦をもつのがヴァイオリン属の重要な特徴であり、チェロもこれと同様だからである。これに対し、標準的には、中央の長三度の他はすべて四度間隔に調弦された六弦からなるのがガンバ属=ヴィオール属なのである。

と、まあこうなるのですが、むずかしいですね。

このヴィオラ・ダ・ガンバのソナタは現在はチェロで演奏されることが多いのですが、たとえば、ブランデルブルク協奏曲第六番は、今でもあえてチェロとヴィオラ・ダ・ガンバを使い分けているのは、これまたどうしてでしょうか。

当然何らかの理由があるのでしょうが、僕にはわかりません。

ということで、解説があれば曲を聴く楽しみが大きくなるのですが、あればあったで、また新たな疑問がわいてくるというのが悩ましいですね。

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『ソニー・ロリンズ・プラス4』

Sonnyrollinsplus4

このレコードはソニー・ロリンズの名義になっていますが、そのクィンテットの実体は、パーソネルをみても明らかなように、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチの双頭コンボです。プレスティッジ・レーベルから発売する関係から、このようになったものと思われます。

このクィンテットはマーキュリー / エマーシー・レーベルの最後のレコード Clifford Brown and Max Roach at Basin Street (Jan., Feb., 1956) から、テナー・サックスがハロルド・ランドからソニー・ロリンズに交代しています。クィンテットはロサンジェルズからニュー・ヨークに出てきていたのですが、途中でランドがロサンジェルズに帰ることになって、代わりにロリンズが呼ばれたためです。

そして、同年三月に録音されたこの作品が双頭コンボの最後のものとなりました。六月にブラウンとリッチー・パウエルが自動車事故で亡くなったのです。

レコードの中では冒頭のロリンズ自作の Valse Hot がやはり聴きもの。ワルツで強烈にスイングしているのはローチの力量があってからのことだと思わざるをえない見事なドラミングです。

アイラ・ギトラー氏はライナー・ノートの中で「Valse Hot is the first successful jazz waltz since Thelonious Monk interpreted Carolina Moon.」と述べています。また、別のレコードの解説で、油井正一氏はこの Valse Hot を「ワルツ・タイムでスイングした最初のモダン・ジャズ」と記しています。

Carolina Moon はセロニアス・モンクのブルー・ノート・レーベルのアルバムに収録されている曲で、やはりローチがドラマーとして参加しているのですが、僕はこれを持っていないので、どんな演奏なのかがわかりません。でも、いずれにしてもジャズでワルツが演奏されるようになったのは実質的にはこの Valse Hot が最初のようです。

Sonny Rollins Plus 4 (Prestege)

Valse Hot
Kiss and Run
I Feel a Song Comin' on
Count Your Blessings Instead of Sheep
Pent-Up House

Clifford Brown (trumpet)
Sonny Rollins (tenor sax)
Richie Powell (piano)
George Morrow (bass)
Max Roach (drums)
Mar.22, 1956

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『フランス近代絵画のながれ』展

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市立美術館で『フランス近代絵画のながれ』展が開かれていて、来週には終わりになるので、きょう行ってきました。行けるときに行っておかないと、あとあと後悔することが多いから。

19 世紀から 20 世紀にかけてのフランス近代絵画の歴史をたどった企画展で、作品は約 100 点。バルビゾン派、印象派、後期印象派、新印象主義、フォーヴォイスム、エコール・ド・パリ、といっても僕にはよくわからないけれど、コロー、ミレー、ルノワール、モネ、ゴッホ、ローランサン、ユトリロなどの絵を観てきました。

僕には、一点だけ展示されたドラクロワ『ベランジェの肖像』が、絵に吸い込まれそうな佇まいとその存在感がよかった。それから、これも一点だけのクールベ『波』。これは、中学生のころに美術の教科書で観て以来。

北海道立帯広美術館所蔵のエッチングが多く展示されていて、ジャック、アピアン、ドービニーなど知らない作家のものだったけれど、こちらも細密で、陰影に富んでいて目が離せなかった。

コローも同じエッチングで、七月に国立西洋美術館で観たときのことを思い出しました。いいですね、コローの風景画は。

喫茶店に寄って、コーヒーを飲んで休んでから帰りました。

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堀江敏幸『めぐらし屋』

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堀江敏幸の『めぐらし屋』を読んだ。堀江敏幸はもうこれで七冊目。

これまで読んだものと同じように、物語に大きな起伏はない。主人公の女性をめぐる日常が静かに淡々と語られるだけ。淡い色彩の水彩画を観るように、輪郭のあいまいな情景が浮かんで消える。そして、何かを解決するというのでもなく、物語は終わる。

だから、物語の中の出来事を拾い上げて、その展開に期待してみても意味のないことで、読者は物語全体の流れの中に身を置くしかない。その流れの中にあるものが読者の心に触れるのだ。

それから、このブログにいつもコメントを寄せていただいている ANNA さんがおっしゃったように、有山達也さんの手になる装幀がすばらしい。

薄いグレーの地に細長い黄色の紙片を貼ったような広い空間に、本の題、著者、出版社の名前が細い明朝体で配置されているデザイン。そして、見返しと栞がこの黄色に統一されているところなど、本を開く楽しみにあふれている。

さらに、この小説の内容とは関係がないのだが、物語の終わり近くになって、墓に供える花を選ぶところで、ベラドンナという言葉に驚いた。ベラドンナというのは花の名前だったのか。

というのは、J・G・バラードの処女作『プリマ・ベラドンナ』(1956)という近未来 SF を思い出したからなのだ。

『プリマ・ベラドンナ』はヴァーミリオン・サンズという架空のリゾート地を舞台にした一連の短篇の中のひとつで、歌う草花を題材にしている。だから、ベラドンナという花の名前を入れたこの短篇の題名はいささか皮肉が感じられるものだったというわけだ。

堀江敏幸『めぐらし屋』(毎日新聞社、2007)

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コルボのロ短調ミサ曲

Messe

ミシェル・コルボの指揮した演奏を初めて聴いたのは、フォーレのレクイエムだった。

それまでこの曲は、クリュイタンス指揮、ロス・アンヘレスのソプラノ、フィッシャー=ディースカウのバリトンなどの 1962 年の録音のレコードで聴いていた。そうしたときにコルボの盤に出会ったのだが、静かで美しく、独唱を際立たせすぎない自然な演奏にすっかり魅了された。

こうなると、今まで聴いていたクリュイタンスのレコードは響きが厚く、それに独唱の押し出しが強すぎるように感じられてきて、早々に手放してしまったのだった。

このバッハのロ短調ミサ曲も決して重苦しくならず、明るく透明な響きでもって演奏され、聴き終えたあとに心の中に静かな感動が残る。

Johann Sebastian Bach (1685-1750) : Messe en Si Mineur BWV 232, Magnificat BWV 243 (Erato)

Rachel Yakar, soprano
Jennifer Smith, soprano
Birgit Finnilä, alto
Anthony Rolfe-Johnson, ténor
Philippe Huttenlocher, basse
José van Dam, basse
Jean Piguet, violin
Pierre Wavre, flûte
Jean-Paul Goy, hautbois d'amour
Markus Haeberling, hautbois d'amour
Joseph Molnar, cor
Assaf Bar-Lev, basson
André Viivian, basson
Marie-José Falcao, violoncelle
Francis Marcelin, contrebasse
Ensemble Vocal de Lausanne
Orchestre de Chambre de Lausanne
Direction : Michel Corboz
Sep. & Oct., 1979

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クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ

Brownandroach

クリフォード・ブラウンはマーキュリー / エマーシー・レーベルに多くの録音を残している。ここには歌手たちとの共演、ストリングスをバックにしたもの、ジャム・セッションを記録したものなどがあるが、やはりマックス・ローチとの双頭コンボの演奏が最大の聴きものだ。

『クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ』はこのレーベルでの最初のセッションから五曲、翌年のものから二曲を収録したもので、若く溌剌としたブラウンの演奏がすばらしい。楽想がすべて音となって泉のように湧き出ているといった感じがする。

粟村政昭氏はその著書の中で「僚友マックス・ローチと組んだ時のブラウンの演奏は、オン・ビートで次第に速くなって行くようなスリリングなローチのリズムに合わせて、美しい均整のとれたフレーズを、奔流の如き勢いで吹き続け、手に汗にぎるような興奮を聴衆に与えたのであった」と述べている。

Jordu と Parisian Throughfare はこのセッションの直後に録音された The Best of Max Roach and Clifford Brown in Concert (GNP, 1954) で再演され、さらにスリリングな内容の演奏になっている。The Blues Walk はのちにセルジオ・メンデスのセクステットによって演奏されたレコードが出て、遠くブラジルのミュージシャンたちが彼らの演奏をめざしていたことを知って驚いたものだった。

Clifford Brown and Max Roach (EmArcy)

Deliah (*1)
Parisian Throughfare (*1)
The Blues Walk (*4)
Daahoud (*3)
Joy Spring (*3)
Jordu (*2)
What Am I Here for (*5)

Clifford Brown (trumpet)
Harold Land (tenor sax)
Richie Powell (piano)
George Morrow (bass)
Max Roach (drums)
Aug. 2, 1954 (*1)
Aug. 3, 1954 (*2)
Aug. 6, 1954 (*3)
Feb. 24, 1955 (*4)
Feb. 25, 1955 (*5)

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小川隆夫『ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実』

Bluenote1500series

国内の批評家が書いたジャズ・レコードのライナー・ノートは、現在の視点から過去を俯瞰するように記述されているものが多い。つまり、「このレコードはマイルズ・デイヴィスの生涯の傑作であると同時に、モダン・ジャズ史上においても最重要の作品である」などという記事なのだが、過去に録音された作品を聴く以上、このようなものになるのはしかたのないことかも知れない。そして同時に、僕らには歴史的に評価の定まった作品を選んで聴いていたほうが安心していられるという気持ちがどこかにあって、国内のライナー・ノートはこのような聴き手のいわばブランド志向に沿ったものを提供しているとも言える。

聴き手の心の中に隠れているこのブランド志向というのはやっかいなものだ。たとえば、演奏家の経歴を紹介する「バークリィ音楽院に入学し、著名なジャズ・メンと共演」などという記事でこのブランド志向を刺激する。誤解を恐れずに言えば、僕らはこのような記事の内容を、演奏家を聴くときの安心ないしは満足の担保としているのだ。

これはクラシック音楽界でも同様で、演奏家の経歴は音楽コンクール入賞という形で示されるけれど、一位、二位というのはいいとしても、「一位なしの二位」などという記事を目にすると、僕はもうなんだか悲しくなってくる。

本書は、このような視点から離れ、いまだ陽の目を見ない新人ジャズ・メンの音楽をせっせと録音し続けていったブルー・ノート・レコードのその時点で書かれたライナー・ノートを紹介したものだ。著作権上の問題があって、全文を引用できないのはもちろんだが、それでも、実に的確に演奏家を紹介している批評家たちの記事が新鮮だ。

マイルズ・デイヴィスの繊細な響きを「マイルズの音色は、卵の殻の上をひとが歩いている様子を思い起こさせる」と表現した有名な比喩は『マイルズ・デイヴィズ 第二集』の中のレナード・フェザー氏のものだ。

小川隆夫『ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実』(講談社、2008)

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オトテール : 組曲、ソナタ、小品集

Premierflutistefrancais

ジャック=マルタン・オトテールという作曲家がいたことはフランス・ブリュッヘンのレコードのライナー・ノートで初めて知った。アルカンジェロ・コレッリのヴァイオリン・ソナタをブリュッヘンがブロックフレーテで演奏したレコード(SEON、1979-80)の中で、市川信一郎氏はオトテールの作品集について次のように述べていた。

オトテールの演奏では、ブリュッヘンが 1970 年代の初めからめざして来たフランス・バロックの演奏スタイルの精華が披露されている。微妙なリズムのゆらし、ノン・ヴィブラートとフィンガー・ヴィブラートの多用、独特の装飾音のつけ方などにその特質をみることができる。事実、彼自身 1970 年代の末に至るまで、フランス・バロックを最も得意な分野と考えていたらしい。

と、これだけの文章からオトテールの作品を聴いてみたいと思っていた。つまり、ブリュッヘンの演奏が好きだということなんだなあ。

オトテールのことは、この作品集のブリュッヘン自身のライナー・ノートに詳しい。この中で、彼はこんなふうに書いている。

オトテールはパリから遠くないル・クーチュールの小村という田舎から出てきた木管楽器製作者の一族に生まれた。

彼は 18 世紀の転回点でのフルートの歴史において、最も重要な人物であった。

オトテールが最高なのは、哀調のある、ため息をつき、思い悩んでいるようなフルートの特質を開拓している点においてであろう。

このレコードには、彼がミュゼット、ブロックフレーテ、フラウト・トラヴェルソ、オーボエ、ディスカント・ガンバ、ソプラノのために書いた作品が収録されている。

SEON レーベルのブリュッヘンのレコードは、単に演奏を録音したというよりも、彼自身の研究成果を自ら実践したという感じを受ける。

Jacques Hotteterre (1680-1761) : Premier Flûtiste Français (SEON)

Shelley Gruskin, Musette
Frans Brüggen, Blockflöte, Traversflöte
Barthold Kuijken, Traversflöte
Oswald van Olman, Traversflöte
Bruce Haynes, Barockoboe
Ku Ebbinge, Barockoboe
Danny Bond, Barockfagott
Wieland Kuijken, Diskantgambe, Bassgambe
佐藤豊彦, Laute
Gustav Leonhardt, Cembalo
Marjanne Kweksilber, Sopran
Apr. 1976, May 1976, Jan. 1977, Holland

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